デジタル・コンテンツの特徴
〜〜〜「半永久的」という幻想〜〜〜


 家庭用ゲーム機用のCD−ROMを巡って、中古販売が違法か否かということに関して激しい論争が行われています。その中で、多くの中古販売違法論者の主張には、「ゲームソフトのようなデジタルコンテンツは、データが半永久的に劣化しない」ということが含まれています。耐久消費財である工業製品の多くが、多くの人の知的生産活動の成果である点でゲームソフトと何ら変わることがないのにゲームソフトに限っては消費者に新品の購入を強制できるとする実質的な正当性を模索した結果、そのような主張を盛り込まざるを得なかったのだろうと思います。
 
 この主張は変だと思いませんか。
 
 「デジタルデータは半永久的に劣化しない」という言い方は、昔からなされていました。しかし、それは「複製」という場面についての話でした。つまり、こういうことです。アナログ式データの複製する場合(例えば、新聞記事をコピー機でコピーしたり、通常のカセットテープで音楽をダビングしたりすることを考えて下さい。)、複製をするたびに、データの精度が低くなったり(原稿をコピー機にかけたりファックスで送ったりすると文字が潰れてしまうことがよくありますね。)、余分なデータが混入したり(オーディオ・テープをダビングすると、モーター音などの雑音が加わって聞き難くなりますね。)して、大元のデータとの乖離が激しくなっていきます。これに対して、デジタルデータの複製に際しては、複製元のデータと複製先のデータが同一になります。このようにアナログデータの場合、子コピー、孫コピー、曾孫コピー……と進むにしたがって、データが大元のデータと乖離していく(この現象を通常「データが劣化する」といいます。)のに対して、デジタルデータの場合、子コピー、孫コピー、曾孫コピー……と進んでいっても、データ自体は大元と同じままです。こういう意味で「デジタルデータは劣化しない」というのであればまさにそのとおりです。それはデジタルデータの特徴といって差し支えないでしょう。
 
 しかし、家庭用ゲーム機の場合、新品を買ってきて、すぐさまCD−Rにデータをコピーして、中古販売業者に買ってきたCD−ROMをさっさと売却して、自分はデータを複製したCD−Rで遊ぶという人はほとんどいません。したがって、「複製の際にはデータが劣化しない」というデジタルデータの特徴を、中古ゲームソフト販売の是非を考える際に考慮するのはおかしいということが判ります。
 
 あるいは、デジタル情報を記憶している記憶媒体が劣化しないという趣旨でしょうか。しかし、ROMカートリッジの場合、内蔵電池の寿命が来ると事実上使用できなくなります。また、CD−ROMにしても、非常に傷つきやすく割れやすい素材でできていますし、丁寧に取り扱ったとしてもその寿命はせいぜい30年くらいだろうと予測されています。50年、100年ともつ紙とは比べるべくもありません。
 
 あるいは、誰かが使用したゲームソフトでも、記憶されているデータは新品と同じだから、新品と同じようにその楽しさを味わえるという趣旨でしょうか。しかし、中古本だって、中古レコードだって、その点は一緒です。中古本だからといって、吾輩が猫から犬になるとかというようなことはありません。内容が同じなら安い方がいいという人は中古品を買うかも知れません。誰が使ったか判らないものなど気持ち悪くて買いたくないという人は新品を買うでしょう。本だから、レコードだから、ゲームだからと特別に異なることはありません。
 
 このように考えていくと、「デジタルデータは劣化しない」ということで、ゲームソフトについてだけ、新品のみを買うようにとユーザーに対し強制する権利をメーカーに与えることを正当化することはできないことが判ります。
 
 弁護士の中にも、中古ゲームソフトをそのまま放置しておくと、いずれは誰も新品を買わなくなるなどといって、人々に誤った先入観を植え付けようとする人がいます。しかし、ゲームソフトの商品としての寿命と回転サイクルを考えれば、これが明らかに真実と異なることが判ります。実際、ゲーム産業は、他の著作権ビジネスが思わずため息をついてしまうほどの高い売り上げを上げているのです。

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