弁護士 小 倉 秀 夫
発信者情報の開示を請求するにあたっては、請求者側が、特定電気通信の流通によって自己の権利が侵害されたことを立証することを求められます。条文上は、「権利が侵害されたことが明らかであるとき」とされています。しかし、通常の事実認定に求められるのよりも高度の証明度を求めるものとは一般に理解されてはいないようです。
ただし、「権利が侵害されたことが明らかであるとき」と言う文言が用いられていることから、判例通説は、不法行為に基づく損害賠償請求訴訟では被告側が立証責任を負うべき事実(例えば、抗弁事実)についても、開示請求者側に立証責任を負わせることとしています(例えば、東京高判平成30年2月1日(平成29年(ネ)第3466号)は、「被害を受けたと主張する控訴人において、…自己の権利の侵害に係る客観的事実の存在に加え、違法性阻却事由の存在をうかがわせる事情がないことも主張立証する必要があるという趣旨と理解される」と判示しています。
とはいえ、当該権利が侵害されたことに基づく損害賠償請求権について理論的に考えられる抗弁を全て列挙した上でいずれも成立しないことを主張・立証することまでは求められません(東京地判平成16年6月8日判タ1212号297頁)。権利制限規定が多数ある著作権においてあらゆる違法性阻却事由を列挙した上でそのいずれも成立しないことを開示請求者の側で主張・立証しないとならないとしたら大変すぎます。
被侵害権利ごとに類型化すると、以下のとおりとなります。
特定電気通信の流通によりその名誉が毀損されたとして発信者情報の開示を請求する場合、以下の事実のいずれかを立証する必要があります。
名誉毀損が専ら意見または論評によってなされた場合は、以下の事実のいずれかを立証する必要があります。
開示請求者が立証しなければならないのが、「摘示事実が真実でないこと」なのか「摘示事実が真実であると発信者により証明されないこと」なのかは地味に重要です。発信者情報の開示請求を受けたプロバイダは、発信者に対し意見照会をすることとなっており(プロバイダ責任制限法第4条第2項)、開示しないでほしいとの意見を聴いたときは、摘示事実ないし前提事実が真実であることを裏付ける資料の提供を求めることが、利用契約に基づいてまたは事実上できます(開示請求が認容されることにより不利益を受けるのは、プロバイダではなく、発信者自身だからです。)。実際、発信者の陳述書(ただし、記名欄はアカウント名等が記載されている。)が被告側の証拠として提出されたり、発信者から提供を受けたと思しき資料が証拠として提出されることがしばしばあります。このような場合、当該事実が真実であることについて発信者が保有している証拠資料はその程度しかないと考えるのが自然です。もちろん、開示請求者が発信者に対して名誉毀損訴訟を提起した場合に、摘示事実等が真実であることを立証するために、発信者側が開示請求者の本人尋問をしたり、開示請求者又は第三者が保有している資料を証拠化するための種々の手続を採ることは考えられますが、その程度のことであれば、プロバイダ側でもできます。それらの資料やそれらの手続を通じても摘示事実等が真実であることを立証できなかった場合には、開示請求者が発信者に対して名誉毀損訴訟を提起した際に、当該発信者では当該事実が真実であると立証することはできないと考えるのが自然です。名誉毀損訴訟では、摘示事実等が真実であることを発信者側で証明した場合に違法性が阻却されることになっているわけですから、当該発信者では当該事実を真実と証明できないことが立証できれば、当該事実が客観的に真実でないことまで立証することまでは必要でないと考えるのが自然です。
このように考えると、例えば、開示請求者を未解決事件の真犯人であると断定する事実摘示がなされている場合に、アリバイ立証等ができず、開示請求者自身が当該未解決事件の真犯人ではあり得ないことの立証ができなくても、開示請求者側が出してきた証拠資料等では開示請求者が当該未解決事件の真犯人であることを証明できていないときには、違法性阻却事由が成立しないことの立証がなされたということができます。
この点に関して注目されるのは、東京高判令和2年11月11日判タ1481号64頁です。
同判決では、
法4条において、権利侵害されたものと発信者間の訴訟においては、本来、違法性阻却事由として発信者が主張・立証しなければならないものを、発信者情報開示請求訴訟においては、請求原因として権利侵害された者の主張立証責任として定めたのは、発信者情報が発信者のプライバシーに関する事柄であって、発信者の匿名性を維持しつつ、発信者自身の手続参加を予定していない訴訟構造の中で発信者のプライバシー及び表現の自由の利益と権利侵害された者の権利回復を図る必要性との調和を図るための措置であると解される。したがって、法4条の『権利侵害が明らか』についての解釈においても、権利侵害された者が権利回復を図ることができないような解釈運用がなされるべきでないことが前提となっているというべきであるとの一般論を述べた上で、
被控訴人提出の上記回答書に表れた発信者の記載内容は自己の体験を述べた形式で一応の具体性はあるものの、抽象的な事実を述べたにとどまり、日時や人物の特定もないことから、控訴人において反論をすることができる内容となっていない。法4条1項が、発信者の匿名性を維持し、発信者自身の手続参加が認められていない手続法の枠組みの中で、発信者の有するプライバシー権や表現の自由等の権利ないし利益と権利を侵害されたとする者の権利回復の利益をどのように調整するかという観点から、前記のとおり権利侵害の明白性の要件が設けられ、違法性阻却事由の存在をうかがわせる事情がないことが必要であるとされていることからすれば、上記の回答書…の提出があったことをもって、本件投稿に摘示された事実が真実であることをうかがわせるような事情があるということはできない。立証責任を転換したことによって、上記回答書に応じて事実の不存在まで厳密な立証を求めると、本来、被害者と発信者との間で争われるべき事項について、発信者からの日時、場所等の特定がなく、抽象的な事実に止まる、中途半端な上記回答書に対して、およそそのような事実はないという不可能に近い立証を強いることになり、相当でないからであると判示しました。
同判決の論理に従えば、投稿で摘示された事実が反証が困難な程度に抽象的である場合、プロバイダが発信者から提供を受けた資料を元に行う主張立証によってもなお、反証をするのに十分な具体性を確保できなかったときは、開示請求者自身の陳述書などでそのような事実がなかったことを一応示せば、その権利が侵害されたことが明らかであるとして良いということになります。
同様に、「法4条の『権利侵害が明らか』についての解釈においても、権利侵害された者が権利回復を図ることができないような解釈運用がなされるべきでないことが前提となっている」との観点からすれば、当該摘示事実が真実でなかったとしてもこれを立証することは容易ではないことを開示請求者が立証した場合には、当該摘示事実が真実でないことの立証まではできなくとも、権利が侵害されたことが明らかであるとされるべきといえます。例えば、特定の未解決の刑事事件の犯人と名指しされた場合、アリバイ立証等ができず、その事件の真犯人でないことを立証することがほぼ不可能ということは十分あり得えます。そのような場合、発信者がプロバイダを介して開示請求訴訟において提出する主張・証拠等によっては開示請求者がその事件の真犯人であると認定できないことの主張・立証以上の主張・立証を求めるのは、権利侵害された者が権利回復を図ることができないような解釈運用となるので、相当ではないとするべきだと思います。
真実性の抗弁/相当性の抗弁については、名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟ではほぼつきものなので、通説判例は、真実性の抗弁/相当性の抗弁が成立しないことの主張・立証を求めますが、それ以外の抗弁については、被告たるプロバイダの側から指摘がなされない限り、それが成立しないことを網羅的に主張する必要はありません。ですので、そのような事実摘示をすることについて事前に承諾を与えていなかったことや、そのような事実摘示をした後に示談契約を締結して解決金の支払いを受けるなどしていなかったこと等を、訴訟や仮処分申立書の段階で、網羅的に主張する必要はないのです。
特定電気通信の流通によってプライバシー権を侵害されたとして損害賠償請求をする場合に、抗弁として主張される可能性が比較的高いのは、以下のものです。
しかし、本来私的領域に関する事実が公表された場合にそれが「社会の正当な関心事」に属するかどうかは、その人の公人性と、公表された事実との内容との相関で決まります。そして、発信者情報開示請求訴訟を提起しまたは仮処分命令の申し立てを行うに際して、原告(債権者)の地位・身分を主張しないことは通常考えがたいです。そして、何が公表されたのかは必ず主張・立証します。ですから、その表現によって公表された事実が「社会の正当な関心事」に属するものではないことを改めて開示請求者側に主張・立証させることは不要であるというべきです。実際、プライバシー権侵害に関する発信者情報開示請求事件に関して、その表現によって公表された事実が「社会の正当な関心事」に属するものではないことを開示請求者側で殊更に主張立証していなくとも、裁判所は、「このような本件個人情報の性質及び本件個人情報の頒布態様からすれば,本件各送信者による本件個人情報の流通には,不法行為等の成立を阻却する事由の存在をうかがわせるような事情は存しないものと推認される。したがって,本件各送信者による本件個人情報の流通により,原告らの『権利が侵害されたことは明らかである』と認められる」(東京地判平成16年6月8日判タ1212号297頁)という風に扱ってくれます。
承諾による違法性阻却については、プロバイダ側からの指摘があった場合に初めてそのような事実がないことを主張・立証すれば足ります。例えば、「一般に俳優・歌手等の芸能人は、テレビや映画に出演し、新聞雑誌等の記事の対象となること自体当然容認しているのであるから、一般市民が関心を持つプライバシー事項、例えば日常の私生活・結婚・恋愛・正確・感情等について相当の範囲でそれが公表されることを包括的に承諾していると見てよい」(竹田稔「プライバシー侵害と民事責任[増補改訂版]211頁)としても、開示請求者がそのような包括的承諾をしたものとみなされる者に属する者ではないことを、訴状/申立書の段階で積極的に主張・立証する必要はありません。また、当該発信者に対して当該事実の公表を個別に承諾した旨の事実がないことを、、訴状/申立書の段階で積極的に主張・立証する必要はありません。
また、法令等の規定に基づいて当該プライバシー情報を公表する場合に匿名でこれを行うことは通常考えにくいですので、当該事実の公表が法令等の規定に基づくものでないことを、開示請求者が積極的に主張・立証する必要はありません。
特定電気通信により流通する情報の中に、開示請求者の著作物または開示請求者の実演、レコード等が含まれている場合、著作権法上の権利制限規定の適用を受けない限り、公衆送信権侵害ないし送信可能化権侵害となります。
しかし、匿名でなされる特定電気通信について権利制限規定が適用されることは希です。また、権利制限規定は数が多く、これらのいずれも成立しないことを網羅的に主張・立証させることは非効率です。さらに、権利制限規定の多くは利用者側の事情によりその成否が決まりますが、発信者が誰であるのかを知らない開示請求者がそのような発信者側の事情について主張・立証することは通常困難です。したがって、開示請求者の側で訴状/申立書の段階で積極的に、いずれの権利制限規定の適用を受けないことを主張・立証する必要はありません。
実際、著作権/著作隣接権侵害を理由として提起された発信者情報開示請求事件においては、原告側で網羅的にいずれの権利制限規定の適用を設けないことを主張立証しなくとも、「本件全証拠によっても、当該各行為について、原告らによる許諾、著作隣接権の権利制限事由その他の違法性阻却事由の存在をうかがわせる事情は認められない」(令和2年11月16日(令和2年(ワ)第10689号)などと判示して、公衆送信権/送信可能化権が侵害されたことが明らかであると認定していただけます。
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