ヘイト・スピーチの投稿者についての発信者情報開示

by 弁護士 小倉秀夫

一 問題の所在

1 電子掲示板やSNSでのヘイト・スピーチの隆盛

 自分たちとは異なる属性を有する人々を差別し、憎み、排除することで、相対的に自己評価を高める。あるいは、自分たちの現在の不遇を、自分たちとは異なる属性を有する人々が不当に優遇されているせいだと思い込むことによって、自らの才覚のなさと努力不足と方向選択の誤りを見なかったことにする。精神的に弱い人々にとって、甘美な思考法である。

 もちろん、このような思考をする人々は従前より一定数いたのであるが、「2ちゃんねる」に代表される匿名型の電子掲示板がわが国において隆盛を極めると、表現の匿名性に由来する自制心の麻痺に起因して、このような思考方法に基づく差別的なメッセージを投稿する人々が徐々に増えていった。そして、既にそのような投稿がなされているということでさらにそのような投稿が重ねてなされるという事態に陥った。このようにして、日本のインターネット環境、とりわけ匿名性の高い電子掲示板やSNSにおいては、自分とは異なる属性を有する人々をターゲットとしたヘイト・スピーチが多数投稿され、一大勢力を築き上げるという状況が出来上がっていった。

 その後、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の登場とともに、インターネットでの表現活動中心のヘイト・スピーチは、同好の志がインターネット等を通じて現実空間で集合して、デモ等の集団行動を行うようになるという展開を見せた1。これに対しては、ヘイトデモを実力で阻止しようとする市民グループの活動や、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」の制定並びにその趣旨に配慮した行政機関や地方自治体の運用、あるいはヘイトデモを実践する人々に対する損害賠償請求訴訟やデモ隊のターゲットへの近接禁止仮処分等の実践によって、対処法がある程度確立しつつある。

 しかし、日本のインターネット環境、とりわけ匿名性の高い電子掲示板やSNSにおいてなされるおびただしい量のヘイト・スピーチに対する対処方法は未だ確立していない。

2 民事訴訟または民事保全手続での対応の必要性

 インターネット上のヘイト・スピーチへの対象法として、従前いろいろなものが語られてきた。

 ヘイト・スピーチとて、憲法第21条によりその自由を保障されるべきものであるから、国家権力を用いた規制を行うのは適切ではない。対抗言論2や啓発活動3によって対処すべきであるとする見解がある。これに対しては、「対抗言論や啓発活動で何とかなるというのであれば、さあ、やってみて下さい」というより他ない。ヘイト・スピーチが客観的に正しくないことは表現者も、これを歓迎する聴衆たちも織り込み済みなので、どんなに真摯に正しい情報を相手に伝えても、ヘイト・スピーチが止むことはない。

 ヘイト・スピーチを刑事罰の対象とするべきであるとする見解がある。しかし、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」までも道のりを考慮すれば、現在の政治環境の中でそのような法改正がなされる見込みはない。また、ヘイト・スピーチを刑事罰の対象とする法改正が仮になされたとしても、被害者が警察に被害届を出した際に、これを受理するか否か、受理したとしていつ捜査活動を開始するかは、事実上担当警察官の胸先三寸で決まるのであり、被害救済手段としての確実性に乏しい。

 このため、ヘイト・スピーチへの対処は、民事訴訟または民事保全手続等を利用したりしつつも、被害者たちの手で行わざるを得ない。例えば、損害賠償請求訴訟を提起したり、特定の文言を含む投稿の差し止めを求めて訴訟や仮処分を提起したりすることが考えられる。その際、足枷になるのは、インターネット上でヘイト・スピーチを繰り返す人々の氏名及び住所等を明らかにしていないため、訴訟を提起しまたは仮処分を申し立てるにあたって、被告ないし債務者を特定することができない点にある。また、今日のヘイト・スピーチの隆盛は表現の匿名性に由来する自制心の麻痺に起因している面が強いため、ヘイト・スピーチのターゲットに自己の氏名・住所が知られていると知れば、少なくないヘイト・スピーカーがさらなるヘイトスピーチの投稿を自省することも期待できる。

 そこで本稿では、ヘイト・スピーチの発信者について、特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(プロバイダ責任制限法)第4条第1項により、その氏名・住所等の開示を受けることができるか否かを検討することとする。

3 プロバイダ責任制限法4条とヘイト・スピーチ

 プロバイダ責任制限法第4条によれば、以下の要件が全て具備されたときに、発信者開示請求が認められる。

① 特定電気通信による情報の流通によって開示請求者の権利が侵害されたことが明らかであること

② 開示請求者に当該発信者情報の開示を求める正当な理由があること

 そして、「特定電気通信」とは、「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信であって、公衆によって直接受信されることを目的とする電気通信の送信を除いたものをいう(プロバイダ責任制限法2条1号)。

 ヘイト・スピーチの発信者について開示請求が認められるか否かを検討する上では、

① ヘイト・スピーチにより開示請求者の権利が侵害されたといえるか否か

② 開示請求者に受信されることによって開示請求者の権利が侵害される場合にも、「特定電気通信」すなわち「不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信」による情報の流通により開示請求者の権利が侵害されたといえるか否か

が主に問題となる。

 また、被侵害権利の範囲を考える上で、「発信者情報の開示を受けるべき正当な理由」が、損害賠償請求訴訟や権利侵害行為の差止め請求訴訟(または仮処分申立て)等の法廷活動に用いることに限定されるのか、表現者の氏名等を公開すること等により更なるヘイト・スピーチを抑制したり4、(精神疾患が疑われる場合の)精神保健及び精神障害者福祉に関する法律22条1項の申請に用いたりすることまで含まれるのかも問題となり得る。

 以下、順に検討することとする。

二 ヘイト・スピーチの定義とその種類

 ヘイト・スピーチとは、もっとも包括的な定義をするならば、ある属性を有する集団に向けられる、または、ある属性を有する集団に属するが故に特定の個人に向けられる、攻撃的な表現をいう5

 ただし、論者によって、あるいはこれを保護するための規制の手段の違いによって、ここにいう「属性」をどのように定義するかが異なってくる。もっとも狭い定義は、①あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約第1条第1項の定義にしたがって、「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づく属性」に限定するものであり、次に狭いのは、②上記条約上の定義には縛られないがあくまで「生来的な属性」に限定するものであり6、もっとも広い定義は、③同種の言動を行いまたは同種の思想や嗜好を有する等の行為属性7や後天的な属性8まで含めるものである。

 また、ここでいう「攻撃的な表現」についても同様の幅があり、❶ヘイト・スピーチの対象となる集団または個人の生命・身体・財産・貞操等に対する危害の予告またはその煽動(以下、「危害予告等表現」という。)に限定する定義もあり得る。他方、❷ ヘイト・スピーチの対象となる集団または個人に対し憎悪感情または侮蔑感情を持っていることを端的に示す表現(以下、「憎悪等表現」という。)をも「攻撃的な表現」に含める定義もあり得る。

 なお、Aという集団がBという集団に対して過去に行った負の行為を歴史上存在しなかったことにする言動もまたBという集団に対するヘイト・スピーチに含める見解がある9。もっとも、本稿では、民事的な紛争解決手続で解決され得るものを対象として議論を進めていくところ、歴史的事実に関する見解等が民事的な紛争解決手続での解決に向いているとも思われないので、議論の対象からは除外することとする。

 本稿では、ヘイト・スピーチの定義を論ずることが目的ではないので、とりあえず、ヘイト・スピーチをまず特定の個人に向けられたものと特定の属性を有する人々全体に向けられたものとに分け、それぞれについて、危害予告等表現と憎悪等表現とに分けて、発信者情報開示の是非について論じていくこととする。

三 特定の個人に向けられたヘイト・スピーチ

 電子掲示板やSNS上で特定の個人(以下、「被害者」という。)を貶めまたは脅す等の目的で、被害者の特定の属性に着目した危害予告等表現や憎悪等表現を含む投稿がなされた場合に、それは発信者情報開示請求の対象となるのだろうか。

 このような投稿においては、投稿者は被害者にさえその投稿が届けば目的が達成されることとなる。その場合にも、特定電気通信すなわち不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信と言えるかがまず問題となる。ここでは、「不特定の者によって受信されること」という「目的」は、当該電気通信設備によって媒介される電気通信の通常の目的を指すのか、個々の送信ごとの送信者の意図を指すのか問題となる。「特定電気通信」に当か否かが問題となる場合の多くは、そもそも送信者がだれであるのかを権利者が把握できていない以上、送信者の個別の送信における主観を要件に織り込むことは立証上の困難性を引き起こすこととなろう。また、被害者にさえその投稿が届けば目的が達成されるにもかかわらず、送信した投稿が不特定の者に受信される電気通信サービスを敢えて利用したのであれば、送信者においても、その投稿が、被害者のみならず、不特定の者に受信されることは織り込み済みであるということができる。したがって、通常不特定の者に受信される送信を行うために用いられている電気通信設備を用いた投稿については、送信者の具体的な意図にかかわらず、不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信の送信に含まれるというべきである10

 次に、電子掲示板やSNS上に、被害者をターゲットとした危害予告等表現や憎悪等表現を含む投稿がなされた場合に、上記特定電気通信による情報の流通により被害者の権利が侵害されたと言いうるのかが問題となる。

 危害予告等表現の場合、方法において被害者の属性に着目された表現が用いられているとはいえ、生命・身体・財産・貞操等が侵害されるとの危惧を与えて私生活の平穏を侵し被害者に精神的な苦痛を与えているということができる。そして、そのような危害の予告ないし煽動が被害者の属性との関係でなされた場合には一般人の通常の感性の元では特に受忍することが容易になるとする理由もないので、被害者の人格権(私生活の平穏を保つ権利)が侵害されたものということができる。

 憎悪等表現の場合、通常人は自己の属性に着目した憎悪等表現を認識したときは、怒り、恐怖、または屈辱感等の強い不快感を味わうこととなる。それは、精神的な平穏を害されたと表現することができる。したがって、問題は、精神的な平穏を害されない権利というものを、幸福追求権(憲法第13条)の一環としての人格権の一カテゴリーとして認めることができるかである。「人は、社会生活において他者の言動により内心の静穏な感情を害され、精神的苦痛を受けることがあっても、一定の限度ではこれを甘受すべきであり、社会通念上その限度を超えて内心の静穏な感情が害され、かつ、その侵害の態様、程度が内心の静穏な感情に対する介入として社会的に許容できる限度を超える場合に初めて、右の利益が法的に保護され、これに対する侵害について不法行為が成立し得る」との最高裁判例11に沿うならば、以下のように考えるべきである。自己をターゲットにした、自己の特定の属性に着目した憎悪等表現を目にすることによって内心の静穏な感情は著しく害され、大きな精神的苦痛を受けることがある。これが社会的に許容できる限度を超える場合に初めて人格権が違法に侵害されたこととなるが、① 本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律第2条により定義される「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」12については同法の立法趣旨から社会的に許容できる限度を超えていることが明らかであり、また、② あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約第4条によりその根絶を目的とする迅速かつ積極的な措置をとること義務をわが国として負っている「一の人種の優越性若しくは一の皮膚の色若しくは種族的出身の人の集団の優越性の思想若しくは理論に基づくあらゆる宣伝及び団体又は人種的憎悪及び人種差別(形態のいかんを問わない。)を正当化し若しくは助長することを企てるあらゆる宣伝」やその煽動についてもまた社会的に許容できる限度を超えていることが明らかである13,14。③ また、①②に該当しない場合であっても、示される憎悪等の内容が著しく激しく、かつ、問題視されている属性との関係が客観的に希薄であるときは、社会的に許容できる限度を超えているとされる蓋然性が高くなるものと思料される15。したがって、電子掲示板やSNS等に被害者をターゲットとした憎悪等表現が投稿された場合に、被害者の人格権が違法に侵害されたと認められる場合は少なくないと言えよう。

 もっとも、危害予告等表現にせよ憎悪等表現にせよ被害者に受信され認識された時点で被害者の人格権侵害という結果が発生することから、その権利侵害は「特定電気通信による情報の流通によって」生じたものと言えるかは問題となり得る。ここでは、「特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害された」(プロバイダ責任制限法4条1項)と言えるためには、特定の情報が不特定の者に受信され認識されることによって初めて被害者の権利が侵害されることになる必要があるか、不特定の者によって受信されることを目的とする電気通信を用いた情報の流通がなされた結果特定の人にその情報が受信され認識されることにより被害者の権利が侵害されることとなる場合を含むのかが問題となる。条文の文言上後者を排除するものと読まなければならないわけではない以上、救済範囲を広げるという観点から、後者を含むものと解するべきである。したがって、被害者が自己に対する危害予告等表現ないし憎悪等表現を受信し認識した時点で生ずる人格権侵害についても、「特定電気通信による情報の流通によって」生じたものということができる16

四 特定の属性に向けられたヘイト・スピーチ

 では、危害予告等表現や憎悪等表現が特定の個人に向けられたのではなく、特定の属性を有する集団全体に向けられた場合はどうであろうか17

 主に、2方面のアプローチがあり得る。

 1つは、その属性を有する集団自体を人格権の享有主体とした上で、発信者情報開示請求権の行使を認めるとするアプローチ(以下、「集団主体アプローチ」という。)である。

 もう1つは、当該集団に属する各個人の人格権が当該集団自体に向けられた危害予告等表現や憎悪等表現によって侵害されたとして、発信者情報開示請求権の行使を認めていくアプローチ(以下、「構成員主体アプローチ」という。)である。

 もっとも、集団主体アプローチの場合、民事訴訟法上の制約が存在する。すなわち、訴訟により発信者情報の開示を請求する場合、当事者能力を有する集団しか民事訴訟の原告となり得ないからである。すると、法人格のある社団・財団(会社を含む。)や法人格なき社団等は当事者能力を有するものの、それらに含まれない集団(特定の民族や、特定の国籍保有者団、特定の性的嗜好保有者団等)は当事者能力を有さず、したがって発信者情報の開示を求めて民事訴訟を提起することができない。

 当事者能力を有する団体に関して言えば、団体固有の人格権というのがあり得るのかという問題がある。もっとも、法人についての名誉毀損を認め、また、法人が著作者人格権を行使することを認めるわが国の裁判例を前提とするならば、団体だから即人格権の享有主体となり得ないという硬直的な取扱いをする必要はない。危害予告等表現については、警備を強化したり、イベントを中止したり等の対応を迫られる場合もあり、あるいは、当該集団自体が相当の緊張感をもって存在することを余儀なくされるという意味で、社会の中で存在する上での平穏を害されることになるので、人格権の侵害を認めることも不可能ではないようには思われる。これに対し、集団に対する憎悪等表現については、集団それ自体が怒り、恐怖、または屈辱感等の強い不快感を感ずることはない以上、集団自体の人格権を侵害するものと認めることのハードルは高いように思われる18,19

 構成員主体アプローチの場合、集団自体に向けた危害予告等表現ないし憎悪等表現がその集団の構成員個人の人格権を侵害するものと認められるか否かが問題となる。

 集団自体に向けた危害予告等表現の場合、当該集団の構成員個人は危害を加えられるかも知れない対象に含まれている。したがって、このような危害予告等表現によって構成員の個人としての私生活の平穏もまた害されており、その人格権は侵害されていると認めることができる場合も少なくないと言えよう20

 集団自体に向けられた憎悪等表現についてはどうか。文理上はその表現は専ら集団自体に向けられたものであるとしても、そのような憎悪等表現を見た構成員としては、その集団を構成する自分たちにも向けられたものと受け取らざるを得ず、構成員個人として、怒り、恐怖、または屈辱感等の強い不快感を感ずることとなることは容易に理解できることである21。したがって、集団自体に向けられた憎悪等表現であっても、その構成員の個人としての人格権を侵害するものと認められる場合があり得ると言うべきである22

 構成員主体アプローチの場合、集団自体に向けられた危害予告等表現ないし憎悪等表現によりその人格権を侵害された各構成員が独自に発信者情報開示請求訴訟を提起しうるものと言うべきである。構成員ごとに固有の人格権があり、それが特定電気通信による情報の流通によって侵害されたという構成をとる以上、固有必要的共同訴訟とすることはもちろん、類似必要的共同訴訟とすることも困難である。

 このように解した場合、特定の属性集団に向けられた特定の投稿について、発信者情報の開示を求める訴訟が提起され、それが違法な危害予告表現ないし憎悪等表現であるとまではいないとの理由で請求を棄却する判決が確定したとしても、その既判力は当該原告にしか及ばないから、当該属性集団の別の構成員がまた同種の訴訟を提起することができることになる。それは、特定の投稿について、開示関係役務提供者が繰り返し訴えを提起され、訴訟活動をしなければならないことになる。それは開示関係役務提供者にとって酷ではないかとの批判はあり得るところである。もっとも、発信者情報開示請求訴訟は、アクセスログの保存期間との関係で、投稿から一定期間内にアクセスプロバイダに対する請求をしなければならないので、実際にはさほどの弊害は生じないものと思われる。複数の構成員からの発信者情報開示訴訟が同時並行的に提起された場合には、(複数の地裁に分かれて事件が係属している場合には移送決定を活用して一つの裁判所にまとめた上で)一つの裁判体に集めて同時並行的に審理をさせれば、アクセスプロバイダ側の負担はさほど大きなものにはならないであろう。

五 ヘイト・スピーチと「発信者情報の開示を受けるべき正当な理由」

 発信者情報開示請求は、「当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき」にのみ認められる(プロバイダ責任制限法4条1項2号)。「正当な理由があるとき」の具体例として、前掲・総務省総合通信基盤局消費者行政課68頁は、「(ア) 謝罪広告等の名誉回復措置の請求、(イ) 一般民事上、著作権法上の差し止め請求、(ウ) 発信者に対する削除要求等を行う場合が挙げられよう」とする。民事訴訟を提起することまでは求められていないものの、発信者に対する実体法上の権利を行使することが、「正当な理由」とされているようにも見える。

 しかし、ヘイト・スピーチの発信者がどこであるのかを知りたい理由として、慰謝料請求をしたいということを挙げる人もいるとは思われるが、以下のような点を挙げる人も少なくはないであろう。

① 特に危害予告等表現の場合に、どこにいる、どのような人がそのような表現を自分たちに向けているのかを知ることで安心したい。

② 自分たちにヘイト・スピーチを向けてくる人の氏名・住所等を公開することによって、当該発信者に「もはや匿名ではないのだ」というメッセージを与えて更なるヘイト・スピーチの投稿をしないように促すとともに、ヘイト・スピーチ投稿予備軍の人々に対して「匿名でヘイト・スピーチを投稿しても氏名等は開示されるのだ」というメッセージを送って彼らがヘイト・スピーチを投稿してくるのを事前に抑制したい。

③ ヘイト・スピーチを頻繁に投稿してくる投稿者の中には、投稿内容を見る限り精神疾患に罹患していると合理的に疑われる者が少なくないので、その氏名・住所等を知ることによって、その家族に警告したり、警察・保健所等を通じて措置入院等の措置を講じてもらいたい。

 これらは、プロバイダ責任制限法第4条第①項第2号に言う「正当な理由」にあたるのだろうか23。あるいは、「損害賠償請求権を行使するため」に必要であるとして開示を受けたヘイト・スピーチの発信者の氏名・住所を、上記①ないし③の方法でも活用することは、プロバイダ責任制限法第4条第3項により禁止される「当該発信者情報をみだりに用いて、不当に当該発信者の名誉又は生活の平穏を害する行為」にあたるのだろうか。

 プロバイダ責任制限法の所管官庁である総務省は、「開示された情報の用途としては開示請求者の損害賠償請求権の行使等法律上認められた被害回復の措置をとること以外には考えられない。したがって、それ以外の目的で開示された情報を用いて発信者のプライバシー等の利益を侵害した場合には、全て、不当に関係人の名誉若しくは生活の平穏を害したということになると解される」とした上で、「具体的には、発信者の情報をウェブページ等に掲載したり、発信者に対していやがらせや脅迫等の行為に及んだ場合が考えられる」とする24

 しかし、プロバイダ責任制限法第4条第1項は、発信者情報開示請求権が認容される場合として「発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき」と定めるのみで、「法律上認められた被害回復の措置をとる」場合に限定していない。そうだとすれば、例えばさらなる加害行為が繰り返されるのを防ぐのに有効と思われる方法に用いるなどの目的があり、その利用方法がプロバイダ責任制限法第4条第4項とは独立して違法なものと評価されるものでない場合には25、「法律上認められた被害回復の措置」のための利用ではないとの理由のみで、「正当な理由」がないももと解する必要はないように思われる。

六 結び

 以上のとおり、現行法の解釈としても、匿名の影に隠れてヘイト・スピーチを投稿して他者が困るのを見て喜んでいる人たちを匿名の影から引きずり出して、その行動に見合った法的または社会的責任を負ってもらうことが可能であることを示した。ただし、何人かの裁判官は、匿名の影に隠れて他人を攻撃し、他人に不快な思いをさせる人々に過度に同情的であり、そのような裁判官が「匿名によるヘイト・スピーチ」に関する事案を担当したときには、敢えて上記のような解釈を採用せずに、発信者情報開示請求を棄却して、これまでどおり匿名でのヘイト・スピーチを安心して続けるよう支援することとなろう。そのような事態を回避するには、立法による解決が望まれることはいうまでもない。


1  その実態については、安田浩一「新保守運動とヘイトスピーチ」(金尚均編『ヘイトスピーチの研究』(法律文化社・平26)所収)を参照。

  成嶋隆「ヘイト・スピーチ再訪(2)」獨協法学93号41頁は、「ヘイト・スピーチの諸類型のうち、人種的優越性・人種的憎悪に基づく思想を不特定多数の者に向けて発信するものについては、その対抗措置は<市民社会レベルでの対抗言論>でしかありえない」とする。ここでいう「市民レベルでの対抗言論」を内野正幸氏のいう「緩やかな意味での対抗言論」(=ある言論が行われたこと自体に抗議する言論)、市川正人氏のいう「社会的な相互批判」と同義のものであるとしても、インターネット上のヘイト・スピーチに対する対抗手段としては無力のものといわざるを得ない。

  例えば、小谷順子「言論規制消極論の意義と課題」(前掲・金尚均編102頁)は、「日本におけるヘイト・スピーチの拡散・蔓延の問題に向き合う際には、表現規制という選択肢のみに限定した議論に終始するのではなく、啓発活動を含めた多様な施策も選択肢に入れて議論を展開することが有効であるように思われる。」とする。ただし、いかなる「啓発活動」が有効かについては何らの示唆もなされていない。

  表現者が、匿名であることにより理性による歯止めがきかなくなっている場合、発信者情報開示により匿名性が失われることで、更なるヘイト・スピーチを行わなくなることが期待できる。また、家族と共用のパソコンが使用されていたり、または、家族名義でプロバイダと契約しているインターネット回線が用いられていたりする場合、プロバイダからプロバイダ責任制限法4条2項の意見照会が来た段階で、当該発信者がそのようなヘイト・スピーチを行っていることを家族が知り、これを繰り返させない措置を講ずることも期待できる。

  金尚均「ヘイト・スピーチの定義」龍谷法学48巻1号57頁は、刑事罰の対象とするべきでないものまで含めた「広義のヘイトスピーチ」を、「人種差別撤廃条約の趣旨に反して、公然と、人種、民族、出自、性別、性的指向等によって特徴付けられる集団に対して、又はこれに属することを理由に個人に対して、集団に対する誹謗ないし中傷又は社会的排除ないし暴力を扇動すること」をいうとする。

  例えば、「男性であること」や「女性であること」は、条約上の被差別属性には含まれないが、生来的な属性である。

  例えば、特定の宗教を信仰していることや、特定の政治的見解を有していること、同性愛者であることなどがこれにあたる。

  特定の疾患に罹患しているとか、特定の身体障害を負っている等がこれにあたる。

  金尚均「ヘイト・スピーチとしての歴史的事実の否定、再肯定表現に対する法的規制」龍谷法学48巻2号47頁以下を参照。

10  総務省総合通信基盤局消費者行政課「改訂増補版 プロバイダ責任制限法」19頁(第一法規・平28)もまた、「『不特定の者によって受信されることを目的』とするか否かについては、送信に関与する者の主観とかかわりなく、その態様から客観的、外形的に判断されるものである」とする。

11  最判平成11年3月25日裁判所時報1240号78頁

12  専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの(以下この条において「本邦外出身者」という。)に対する差別的意識を助長し又は誘発する目的で公然とその生命、身体、自由、名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し又は本邦外出身者を著しく侮蔑するなど、本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動をいう。

13  日本政府は、人種差別撤廃条約第4条(a)及び(b)については留保をしているが、同条柱書第1文については留保していないので、人種差別表現を刑事罰の対象とする方法以外の積極的な措置を講ずる義務を免れるものではない。

14  これに対しては、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律第2条に「侮辱」との文言があること、及び、大阪高判平成29年6月19日(平成28年(ネ)第2767号)が名誉感情の侵害を不法行為と認めたことから、ヘイトスピーチにより侵害される法的な利益を名誉感情とする見解もあるようである。確かに、上記大阪高判の事案のように個人の容姿に対する侮辱と合わせてその民族的属性が強調される場合には受忍限度を超えて名誉感情を毀損すると認められる場合もありえよう。ただし、名誉感情説に立った場合には、マイノリティからマジョリティに対する表現についてもマジョリティからマイノリティに対するものと同様の取扱いをしなければならないこと、本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律第2条はあくまで行為類型の一つとして「本邦外出身者を著しく侮蔑する」行為を捉えているに過ぎず、不当な差別的言動の本質を「本邦の域外にある国又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する」ことに置いていることなどから、ヘイトスピーチにより侵害される利益を一般的に名誉感情に置くことは適切ではなかろう。

15  横浜地川崎支判平成28年6月2日判タ1428号86頁は、「専ら本邦外出身者に対する差別的意識を助長しまたは誘発する目的で,公然とその生命,身体,自由,名誉若しくは財産に危害を加える旨を告知し,または本邦外出身者の名誉を毀損し,若しくは著しく侮辱するなどして,本邦の域外にある国または地域の出身であることを理由に本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する,差別的言動解消法2条に該当する差別的言動は,上記の住居において平穏に生活する人格権に対する違法な侵害行為に当たるものとして不法行為を構成する」とする。

16  最判平成22年4月13日民集64巻3号758頁は、「気違い」という侮辱的表現を含む書き込みについて発信者情報開示請求を認容した原判決を支持している。ただし、この点について争点となった形跡はない。

17  もっとも、文言自体は特定の属性を有する集団全体に向けた表現のように見えても、その属性を有する特定の個人に対するレスポンスとして、あるいはその属性を有する特定の個人に言及する文脈の中でそのような表現が投稿された場合には、その個人に対して向けられたものとして解釈できる場合が多いであろう。

18  公益財団法人奈良人権文化財団が開設する水平社博物館前の道路上にて、ハンドマイクを使用して、「いい加減出てきたらどうだ、穢多ども。ねえ、穢多、非人、非人。非人とは、人間じゃないと書くんですよ。おまえら人間なのかほんとうに」「穢多とは穢れが多いと書きます。穢れた、穢れた、卑しい連中。文句あったらねえ、いつでも来い」等の表現を含む演説を行い、かつ、その演説の状況を自己の動画サイトに投稿して広く市民が視聴できる状態においている行為が名誉毀損に当たるかどうかが争われた奈良地判平成24年6月25日判例集未登載において、裁判所はそのような言動は上記公益財団法人に対する名誉毀損に当たると判示した。ただし、特定の集団に対する蔑称が繰り返し用いられた場合に、当該集団の構成員に怒り、恐怖、または屈辱感等の強い不快感が生ずることは十分にありうるとは言え、当該集団ないしその構成員の社会的評価がそのことにより低下するということは通常生じないのであり、「名誉毀損」という枠組みで処理することが適切であったかは疑問の余地がある(もちろん、「名誉毀損」という枠組みであれば、法人を主体とすることがこれまでの判例理論の中でも認められているので、やりやすいという面があったとはいえよう。)。

19  前掲横浜地川崎支判平成28年6月2日は、「法人の定款の定める目的及び事業内容・活動実績や,その役員及び従業員・職員並びにその事業の顧客ないし施設利用者の各構成において上記の本邦外出身者の占める割合などによって,当該法人が上記の違法な差別的言動の対象とされ」ている場合には、当該法人自体の人格権が侵害されるおそれがあるとして、当該法人自体に差別的言動の事前差止め請求権を認めている。本件は、当該法人の事務所や施設付近での街宣活動ということで営業妨害的な側面が大きかった(裁判所も「債権者の職員の業務に従事する士気の著しい低下や,債権者の施設利用者による利用の回避・躊躇を招くことを容易に推測することができる」等の事情を織り込んでいる。)から法人を債権者とする差止め請求を比較的認めやすかったが、掲示板やSNS等を利用した憎悪等表現の場合にも同じように言えるのであろうか。強いていえば、法人のブログ等のコメント欄に大量に憎悪等表現を投稿する場合がこれに近いのかも知れない。

20  「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは,無駄で罪です」などの都知事(当時)の発言によって、個々の高齢女性の「言葉による暴力によって,自己の尊厳や生存が脅かされることなく,平穏に社会生活を営む」権利(平穏に社会生活を営む権利)が侵害されたと言えるかが争われた東京地判平成17年2月24日判タ1186号175頁との関係が問題となり得る。上記裁判例においては、上記権利を「一応は不法行為法上も保護されるべき利益」と認めつつも、「自己の尊厳や生存が脅かされることなく,平穏な社会生活を営む利益についても,内心の問題を別にすれば,そのような利益が本件各発言によって侵害されたとは認められない」と判示している。確かに、上記のような発言をしたからといって、都知事自ら高齢女性を殺害しに来る可能性は乏しいし、都知事に命じられたからと言って、素直に高齢女性を殺しに来る都庁職員が存在するようにも思われない。都知事にせよ、都庁職員にせよ、その程度の信頼をすることはできよう。しかし、危害予告等表現が匿名のネット利用者によりなされ、または匿名のネット利用者を煽動する形でなされたときに、同様の信頼をすることは困難であると言うべきであろう。したがって、集団自体に向けた危害予告等表現がなされた場合であっても、その集団の構成員が、匿名の表現者自身によって、または、その表現に煽られた匿名ネット利用者にとって予告等されたような危害が加えられるかもしれないとの危惧を抱くことは十分に理解可能である。なお、梶原健佑「ヘイトスピーチに対する民事救済と憲法」法学セミナー2016年5月号32頁は、上記裁判例について、「発言と平穏に社会性価値を営む利益との侵害との対応関係、つまり、当該発言を直接の起因として現実に当該利益が害されたと言うことを立証しなければならないわけである」としつつ「この因果関係の立証は不可能に近い」とする。上記事件における都知事発言はむしろ憎悪等発言であるため、これにより直ちに平穏に社会生活を営む利益まで害されるとまでは言いがたいかもしれないが、危害予告等表現の場合、実行意思がないことまたは危害を加えられる客体に自分が含まれないとの確証が得られないときには、これに起因して平穏な社会生活を営む利益は一応害されていると言いやすいように思われる。

21  もっとも、この点は、当該属性に対する各個人の思い入れ等によって大いに変わってくるので、開示請求者が通常当該属性についてどのような態度でいたのかなどが斟酌されるべきであろう。

22  前記東京地判平成17年2月24日においては、「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは,無駄で罪です」などの都知事(当時)の発言によって、個々の高齢女性の内心の平穏が害されたことが不法行為となり得るかが問題となった。裁判所は、「極めて多数の者を対象者としているだけに,個々人の権利,利益に対する影響は,それだけ希薄化されたものになるといわざるを得ない」とした上で、「本件において,その内容,程度といったものを客観的に把握することは困難というほかはないのであって,このような事情と上述した本件各発言の内容,性質とを併せ考えるならば,上述の証拠(略)のみから直ちに原告ら個々人に具体的な金銭をもって償う必要があるというまでの精神的な苦痛が生じたと認めることはできない」として不法行為の成立を認めなかった。逆に言えば、憎悪等表現の対象となる集団の大きさや、憎悪等発言の内容や性質等によっては、集団の個々の構成員に具体的な金銭をもって償う必要があるというまでの精神的苦痛が生じたと認め得る場合があり得るのである、そのような場合には不法行為が成立し得ることとなる。

23  発信者情報開示請求訴訟においては「開示を受けるべき正当な理由」の厳密な主張立証は求められておらず,実務上は「慰謝料請求等の必要がある」とするだけ済むからこのような検討は不要であるとする見解もありえよう。しかし、実務がそうだからと言って、「開示を受けるべき正当な理由」の範囲を検討することが無意味だとは思われない。

24  前掲総務省総合通信基盤局消費者行政課・74頁。

25  例えば、開示を受けた発信者情報を利用して、当該発信者について、精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第22条第1項の申請を行うこと自体は、違法なプライバシー権侵害行為ではないから、「法律上認められた被害回復の措置をとる」ための開示情報の利用ではないとしても違法な利用とされるべきではない。また、発信者情報開示訴訟の原告となった者が、当該属性集団の他の構成員とともに、当該発信者に対して損害賠償請求訴訟等を提起するために、他の構成員に当該発信者の氏名・住所等を開示することもまた、それ自体で違法なプライバシー権侵害となるとも思われない。さらにいえば、同種のヘイト・スピーチを執拗に繰り返す発信者の氏名等を開示することが、その匿名性を剥奪し、ヘイト・スピーチを中止させる効果を十分に期待できるときには、それ自体としては、プライバシー権侵害を構成せずまたは違法性を阻却する場合も十分あり得ると思料される(この点については、同種のヘイト・スピーチを執拗に繰り返す発信者の氏名等を開示することは、一種のネットリンチ(私刑)であり、許されざる自力救済であるとする批判もあるようである。しかし、法益侵害行為が繰り返されている場合に、これを防止するための裁判外の行為が一律に許されざる自力救済にあたるとも思われない。匿名性に由来する万能感から目を覚まさせることで解決することも十分あり得るし、また、そのような言動をしていることが家族等に知られることにより家族等による説得がなされることもあり得るのであり、そのような穏便な解決に期待することが許されないとする合理的な理由はないように思われる。)。