[注1]
東京地判昭57・12・6判時1060号18頁
[注2]
東京地判昭59・9・28判時1129号120頁
[注3]
東京地判昭60・6・1判タ567号273頁
[注4]
東京地判昭60・3・8判タ561号169頁
[注5]
大阪地堺支判平2・3・29判時1357号151頁
[注6]
東京地判平6・1・31日判タ867号280頁
[注7]
そのゲーム機が違法な複製品であることを経営者が知った後にそのゲームを客に使用させた場合は、著作権法113条2項により著作権侵害行為とみなされることになっている。
[注8]
東京地決昭62・2・14判時1222号134頁
[注9]
三木茂弁護士は「謎解き本がこのキャラクターと物語の展開をどの程度具体的に記述し、表現しているかによって映画著作物の著作権侵害が発生するおそれが十分考えられる」(三木茂「ビデオゲーム(2)ーードラゴンクエスト事件」著作権法判例百選(第2版)67頁)と述べるが、「キャラクター」の性格等の位置づけや舞台背景というのは、ゲームの実行によりモニター上に映し出される連続影像から読みとれるものではないこと、「物語の展開」にしても抽象的な「ストーリー」というものは一定のものがあるにせよ、「具体的な展開」はプレイごとに異なることを考えると、そのようにはいえないと思われる。
[注10]
土井輝生「知的所有権法基本判例(著作権)(改訂増補版)」(同文舘出版・平5)
[注11]
東京地判平7・7・14判時1538号203頁
[注12]
大阪地判平9・7・17判タ973号203頁
[注13]
大阪地判平9・11・27判タ965号253頁
[注14]
東京地決昭62・4・6判時1227号132頁
[注15]
山田恒夫「プログラム著作物複製の貸与権ーーソフマップ事件」著作権法判例百選(第2版)147頁は、「一方で、レンタルを利用するユーザーも決して少なくないわけで、この需要も無視することはできない。違法とならないパソコンソフトレンタルを考え出すことも、違法行為の防止につながることになるかも知れない。」と述べるが正当である。
[注16]
http://www.jftc.admix.go/pressrelease/98.jan/980120.htm

[注17]
なお、ゲームソフトメーカーによる中古ソフト市場への一連の阻害行為と独占禁止法の関係については、泉克幸「ゲームソフトの譲渡制限と頒布権」(紋谷暢男教授還暦記念「知的財産権法の現代的課題」(発明協会・平10)505頁以下が詳しい。
[注18]
http://www.cesa.or.jp/cesa/info/chuko.html
[注19]
http://www.arts.or.jp/html/arts/objection/index.html
[注20]
なお、私もこの研究会に参加している。ACCSの久保田裕理事は、同研究会に対して「きちんと討論することもなく、安易に中古ソフト販売合法論に立つ」(http://www.computernews.com/weekly/mo1/19980406_mo1.htm)と中傷を加えるが、口頭又は電子メール等で意見を交換しつつ、訂正すべき点があれば適宜前記見解に訂正を加えながら意見表明を行っており、久保田理事の非難は当たらない。
[注21]
http://www.asahi-net.or.jp/~ZG2Y-FJT/copy_r/chuko.html
[注22]
もっとも、CESA加盟のゲームソフト会社は、過去にも仙台地方裁判所に同様の訴訟を提起したことがある。そのときは、被告側から詳細な準備書面が提出され、その後原告は訴えを取り下げたのである。
[注23]
http://www.akao.to/DIARY/9806/980620.htm
[注24]
なお、同訴訟の訴状及び答弁書は、ARTSのホームページ(http://www.arts.or.jp/ )に掲載されている。
[注25]
代表的なものとして、加戸守行「著作権法逐条講義(改訂新版)」(著作権情報センター・平6)158頁以下、斉藤博「概説著作権法(第3版)」(一粒社・平6)132頁以下、田村善之「著作権法概説」(有斐閣・平10)138頁以下。むしろ、ゲームソフトについて「用尽しない頒布権」を積極的に認めていこうとする見解は、弁護士・研究者としては、森本紘章「ゲームソフトの頒布権と用尽論に関する一考察」JCAジャーナル1995年11月号2頁以下、寺本振透「知的財産権と独禁法との??な関係」(http://www.hotwired.co.jp/wiredmagazine/4.05/teramoto405.html )くらいである。
[注26]
ゲームソフトは「映画の著作物」にあたらないとするものとして、椙山敬士「ビデオゲームは『映画の著作物』か」(D.S.カージャラ=椙山敬士「日本 アメリカ コンピュータ・著作権法」(日本評論社・平1)25頁以下)、西台満「ビデオゲームと映画の著作権」(「法律学の新展開」(弘文堂出版社・平9)143頁以下)、吉田大輔「映画の著作物概念に関する一考察──三沢市市勢映画事件最高裁判決を契機として──」(紋谷暢男教授還暦記念「知的財産権法の現代的課題」(発明協会・平10)741頁以下)、小倉秀夫「中古ソフトがなぜ悪い?」(法学セミナー1998年8月号14頁以下)。ゲームソフト(CD−ROM等)は頒布権の客体にあたらないとするものとして、辰巳直彦「知的財産権と並行輸入--BBS特許並行輸入事件及び101匹ワンチャンビデオカセット並行輸入事件を契機として--Das geistige Eigentumsrecht unt Paralellimporte--」(甲南法学35巻3・4合併号75頁以下)、植松勲「著作権と並行輸入」公正取引550号88頁以下、小倉秀夫「中古ソフトがなぜ悪い?」(法学セミナー1998年8月号)。一旦適法に流通においた著作物について頒布権を行使することはできないとするものとして、松田政行「コンピュータ・プログラムの取引」(松田政行編「コンピュータ・ビジネス・ロー」(商事法務研究会・昭62)92頁以下、美勢克彦「商標権、特許権、著作権による輸入差止めについて--いわゆる並行輸入に対する権利濫用論からのアプローチ--」(小坂志磨夫先生松本重敏先生古希記念「知的財産権法・民商法論叢」)225頁以下、泉克幸「ゲームソフトの譲渡制限と頒布権」(紋谷暢男教授還暦記念「知的財産権法の現代的課題」(発明協会・平10)505頁以下)、田村善之「著作権法概説」(有斐閣・平10)138頁以下。なお、詳細は、藤田康幸=藤本英介=小倉秀夫「中古ソフトと著作権法」(システムファイブ・平10)参照。
[注27]
実際、現在、東京と大阪で行われている二つの訴訟のいずれにおいても、損害賠償の請求はなされておらず、差止め請求のみがなされている。
[注28]
新品市場においては、ゲームソフトの質に関わりなく、メーカーがゲームソフトの価格を決定することになるが、中古市場の場合、すでに当該ソフトを遊び終えた人々が「その値段なら手放してもかまわない」という価格帯とそのソフトで遊びたいと考えている人が「その値段なら購入してもかまわない」と考える価格帯とのバランスの中で、買い取り価格・販売価格が形成されていくのであり、市場におけるそのゲームソフトの評価が如実に反映する。実際優れたソフトであれば、新品ソフトと中古ソフトの価格の差は非常に小さくなるため、発売の後もしばらく新品は売れ続けることになる(実際、ゲームソフトのヒット作の販売本数は、音楽CDの販売本数の比ではない。)。
[注29]
森本紘章「ゲームソフトの頒布権と用尽論に関する一考察」JCAジャーナル1995年11月号6頁
[注30]
小倉秀夫「デジタル・コンテンツの特徴〜〜〜「半永久的」という幻想〜〜〜」(http://www.ben.li/essay/eternal_dream.html)、武田勝弘「デジタルはなぜ大騒ぎなのか」(http://www.crisscross.com/users/jg4izh/negoto/negoto51.htm
[注31]
なお、エミュレーターの説明については、Brick-Box「エミュレータとはなんぞや?」http://www.din.or.jp/~brickbox/whatemu.htmlを参照。
[注32]
赤尾晃一「撲滅を叫ぶだけでいいのか、二つの“M”」(http://www.akao.to/ARTICLE/press33.htm)もいうとおり、メーカー等の権利者が公衆送信権なり複製権・翻案権なりを積極的に行使すれば、ROMイメージの違法なアップロードは激減すると思われる。例えば、自らROMイメージをシェアウェアなどの形態で販売に供したり、一定の代金を支払えばROMイメージの作成・アップロードを許諾するシステムを構築したりすればよいのである。中古ゲームソフト問題もMP3問題もそうであるが、マーケットの需要にあわせて適正な利潤を得る方向で著作権を積極的に行使するのではなく、マーケットの需要を無視ないし禁圧する方向で消極的に著作権を行使しようとするから、メーカーを無視して消費者の需要に応えようとする者が現われるのである。
[注33]
例えば、「宇宙からの侵略者に対し、ミサイル等を打ち込んで、これを撃退する」というプロットがスペースインベーダーの作者に独占され、その後このプロットに基づくゲームの作成が一切禁止されたら、今日のゲームの隆盛はなかったであろう。
[注34]
もっとも、パックマン・アーケード事件では、喫茶店内に業務用ゲーム機を設置して不特定の客にプレイさせることが「公に上映」することにあたると判示された。しかし、他の遊戯器具を設置し、不特定の客にプレイさせても著作権侵害とならないこととの間でバランスを失しているように思う。
[注35]
最判平8・10・14日(判例集未登載)は、「連続した映像が固定されている著作物」であっても編集等を経て完成しない限り「映画の著作物」にはあたらないとした東京高判平成5・9・9日判時1477号27頁を支持して上告を棄却しており(馬場巌「『青い海のまち みさわ』未使用映画フィルムの著作権帰属事件」コピライト434号42頁参照)、「動画=映画」というテーゼは判例上否定されたと見るべきである。また、吉田大輔「映画の著作物概念に関する一考察──三沢市市勢映画事件判決最高裁判決を契機として──」(「紋谷暢男教授還暦記念・知的財産権法の現代的課題」752頁は、「東京高裁の『映像著作物』概念の発想が『映画の著作物』の概念を拡大適用し続けたこれまでの傾向に対する一定の反省を迫っているという側面を認めることができるのではないだろうか。……従来は二条三項を中心として『連続した映像が固定されている著作物』に該当すれば『映画の著作物』としてきたが、東京高裁の考え方からすれば、映画の著作物たりえるためには、さらに『編集等を経て完成されたもの』という要件を満たさなければならない」と指摘している。
[注36]
もっとも、名人級の人が秘技を駆使してプレイをしたというような特殊な場合を除いては、創作性の要件を満たさないであろう。また、プレイ画面を録画したような場合を除けば、通常は、プレイヤーのコントローラー操作によって作り出される連続的影像は、全く同じものを再現することはほとんど不可能であり、固定性の要件を欠くから、「映画の著作物」にあたることはないであろう。
[注37]
吉田大輔「映画の著作物概念に関する一考察──三沢市市勢映画事件判決最高裁判決を契機として──」(「紋谷暢男教授還暦記念・知的財産権法の現代的課題」757頁は、テレビゲームの画面について、「プレイのたびにプレイヤーの選択によって影像が変化し、当該プレイ影像については一貫した流れを持った影像が当初から提供されているわけではないことを考えれば、シナリオ等に基づいた編集行為がない場合であり、視聴覚著作物の範疇に入れるのが適当であろう。テレビゲーム製作者は、言うなれば、一種の素材としての影像の提供を行っているのであり、未編集フィルムが存在している状況と類似する場合と捉えるべきであろう。プレイヤーの選択によって初めて『編集行為』に類する『影像の選択と流れ』が生じていると考えるのである。」と指摘している