一 輸入権について
1 建前論に対する反論
文化審議会著作権分科会報告書(案)によれば、「近年,韓国政府が第四次日本大衆文化開放として日本語の音楽レコードの販売の解禁を発表するなど,特にアジア諸国に対して,日本の音楽産業が積極的に国際展開していく機運が高まっている。/しかし,日本の音楽産業が積極的に国際展開した場合には,海外にライセンスされた日本よりはるかに安価な日本の音楽レコードが国内に還流することが懸念され,国内の音楽産業に大きな影響を与える可能性があることから,(社)日本レコード協会より,海外での日本の音楽ソフトの需要に応え,日本の音楽産業の拡大を図るため,日本における販売を禁止することを条件に海外にライセンスされた音楽レコードの日本への還流を防止する措置(海外にライセンスされた日本の音楽レコードの輸入又は輸入後の譲渡を差し止める措置(いわゆる「輸入権」の導入))が必要であるという要望が出されている。」(注1)とのことである。
このことは、日本のレコード会社は、次のような営業政策を採ることを企図しており、それを法制度の面からサポートすることを国に対し要求しているということを意味している。
1) レコード会社各社は、CDのプレス等の過程をアジア諸国にて行うことによって、小売価格がアジアの物価水準に適合する価格で音楽CDを出荷しても利潤が出る程度に音楽CDの製造コストを引き下げる。
2) しかし、製造コスト引き下げの恩恵は、日本国内に在住する消費者には与えない。
輸入権創設の是非を論ずるにあたっては、レコード会社の上記営業政策が、新規立法を行ってまで保護するに値するのかということがまず検討されなければならない。
エール大学教授であり、内閣府経済社会総合研究所長でもある浜田宏一氏は、「輸入国だけの立場からみれば、並行輸入には安い輸入品が国内に出回ることを意味するので、差し止めを行わない方が必ず国民的利益となる。並行輸入によって安い輸入品を買うことのできる消費者は大いに利益を受けるが、輸入国の総代理店など販売者は低い価格によって損失をこうむる。しかしながら、損失の部分はたえず消費者の利益の増加で相殺される。そして、国民全体としては、消費量が輸入によって増えた分だけ必ず厚生が増加するのである」(注2)とする。同一商品が国外においてより低価格で入手できる場合に、輸入業者がこれを国外で仕入れ、国内にて従前の国内価格よりも安い価格でこれを販売することは、一般に、輸入国の厚生を増大させるものと考えられている。価格の低下による供給者側の損失は消費者側の利益の増加で相殺され、価格の低下により需要が増大した分だけ必ず社会全体の厚生は増大するからである。
このため、我が国は、輸入により国内の商品価格が下がることを基本的に歓迎する政策を採用してきた。公正取引委員会は、当該商品の国内価格を維持するために真正商品の輸入を阻害するような行為を原則として不正な取引方法としている。また、裁判所は、商標権の行使により並行輸入を防止しようとする者に対しては商標機能論によってその企みを挫き(注3)、特許権の行使により並行輸入を防止しようとする者に対しては黙示の許諾論によりその主張を退けた(注4)。また、文化庁は、著作権法の平成11年改正において譲渡権を創設するにあたって、譲渡権の国際消尽に関する規定を挿入することを提案し、国会はこれを受け入れて現行著作権法26条の2が制定された(注5)。そして、この理は、日本国民または日本企業が知的財産権を保有していて外国企業にライセンスを付与して製造させた商品の輸入についても、当然に当てはまるものと解されている。
したがって、商業用レコードにつき輸入権を創設して外国で製造された商品の輸入を阻止し、これにより商業用レコードの国内価格を維持する権限をレコード製作者に認めることは、当該商品の輸入により我が国全体の厚生を増大させる機会を阻害するものであって、基本的に妥当ではない。
もちろん、一国の経済政策として、特定の産業を奨励し、または、衰退を防止するために、社会全体の厚生を犠牲にすることは必ずしも否定されることではない。しかし、そのためには、これにより、社会全体の厚生を犠牲にしてもそれに見合うだけの社会的又は経済的な利益を社会全体にもたらすことが必要であり、特定の業種に属する人間の富を増やすことのみのために、社会全体の厚生を害するような経済政策を採ることは許されない。
では、商業用レコードについて輸入権を創設することによって我が国の社会にどのような利益がもたらされるのであろうか。
前記報告書における日本レコード協会の説明によると、輸入権が創設されれば、アジア諸国の物価水準に合わせて出荷された音楽CDが日本国内に輸入されてもこれを差止めることが可能となるため、日本のレコード会社の多くがアジア諸国に進出するようになるとのことである。しかし、日本のレコード会社がアジア諸国において音楽CDをプレスし出荷したとしても、当該音楽CDに収録された楽曲に関する著作権者、実演家、レコード製作者のライセンス料収入が若干増大するというだけの効果しかもたらさない(注6)。
この点、社団法人日本レコード協会の生野秀年専務理事は、アジア地域への国際展開によって得られた利益を適切に消費者に還元するために、マーケット拡大による利益の日本の消費者への還元を検討すると述べる(注7)。しかし、邦楽CDの国内価格を決定するのは各レコード会社であって日本レコード協会ではないから、生野氏がそのような宣言をしたからといって守られる保証は何もない(注8)。むしろ、日本のレコード会社は、1990年代前半ミリオンセラーが続出して記録的に売上を伸ばしていた時期においても価格の引き下げ等により消費者に利益を還元したことはないのであるから、輸入権に保護されつつアジア諸国に進出して利潤を大いに増大させたからといって、日本国内における小売価格を引き下げて日本国内の消費者に利益を還元するようになるとはにわかに信頼しがたい。
なお、現在どのような種類の工業製品についても国外で生産し流通させた商品を日本国内に輸入させない法的な手段は認められていないが、それでもなお、国外に製造現場を設け、国外において現地の物価水準に合わせた価格で商品を流通させているメーカーは多い(注9)。同様に、日本のレコード会社においても、アジア諸国向けに音楽CDを出荷した方が、それらが並行輸入される可能性を考慮しても利益の増大に繋がると判断すれば、アジア諸国に進出することが予想される。
この点、前記生野氏は、「レコード」の場合、(1) 還流の障壁となる言語の問題がない、(2) 還流を防止する技術的な手段がないためライセンス契約による措置等に対策が限定され、還流を防ぎきれない等の特徴があると主張する(注10)。しかし、これらの点は、国外において生産され又は販売されている工業製品に普通に見られる性質であり、「レコード」において特徴的であるとは言い難い。
また、日本で流通におかれている商品と全く同じ商品をアジア諸国において流通させるのであれば「還流の障壁となる言語の問題がない」といえるが、洋楽CDにおける日本国内向け商品と英米国内向け商品との違いのように、楽曲に関する解説等を現地の言語により行った場合には、言語の違いが「還流の障壁」となるのであり(注11)、そもそも生野氏は議論の前提となる事実に関して十な理解を有しているとは思われない。
その他、商業用レコードについて輸入権を創設することにより、我が国の社会全体の厚生を犠牲にしてまで実現すべき利益を見いだすことができない。したがって、商業用レコードに輸入権を創設して「逆輸入」を阻止し、生産コスト低下の恩恵を日本国内在住者には与えないとすることを可能とするような法改正はそもそも行われるべきではない。
2 輸入権創設と並行輸入
日本レコード協会は、「経済状況の異なる国からの日本のレコードの還流を防止する『レコード輸入権』の必要性を訴え、これらの権利の導入を求めています」(注12)などとして、導入を企図している「レコード輸入権」とは「経済状況の異なる国からの日本のレコードの還流を防止する」ものであるかのように主張している。日本レコード協会の生野氏は、文化審議会において、「欧米等からの洋楽並行輸入レコードの流通は制限しない」ということを再三強調する(注13)。
しかし、それ自体が非常に疑わしい。すなわち、輸入権が創設されるまでは輸入権をあたかも専ら「経済状況の異なる国からの日本のレコードの還流を防止する」ために用いるかのように説明しておきながら、ひとたび創設されたら洋楽CDの並行輸入を水際で食い止めるために輸入権が行使されるおそれが高い。
国外で流通している商品の流通を知的財産権の行使により食い止められるようにしようという議論は、研究会や審議会等で議論がなされるときは東南アジア等で現地の物価水準に合わせた価格で流通している商品が並行輸入されることの可否を巡ってなされることが多いが、実際に問題となるのは、アメリカやドイツなど他の先進工業国で現地の物価水準に合わせた価格で流通している商品が並行輸入されることの可否をめぐってである。このような問題が起こるのは、日本国内在住者に対しては、欧米在住者よりも高い価額でしか自社の商品を売りたくないとする欧米系の著名ブランド企業(ないしその関連企業や輸入総代理店等)が日本向け商品の販売価格を顕著に高く設定するからである。
このことは、音楽CDについてもまさに当てはまっている。例えば、アメリカでは、The Beatlesの「Let It Be Naked」を12.98ドル(約1400円)で購入することができる(注14)。イギリスでは、8.95ポンド(約1700円)で購入することができる(注15)。これに対し、株式会社東芝EMIは、「Let It Be Naked」の日本国内向け版の定価を2800円(税込み)と設定している。平成13年度の東京とNew Yorkとの間の内外価格差が1.26倍であった(平成15年版 国民生活白書より)であったことを考慮に入れたとしても、実売価格で約2倍という価格差は「顕著」な違いと表現するに値するものである。
また、英米系のレコード会社は、英米国内向けには通常のCDの規格(CDDA規格)を遵守した商品を出荷するのに対し、日本国内向けには、日本国内の系列レコード会社に、通常のCDの規格を遵守しない欠陥(注16)商品(コピーコントロールCDまたはCCCDと呼ばれている)であるコピーコントロールCD規格で商品を出荷している(前述の「Let It Be Naked」も同様である。)。そのため、購入したディスクは確実に再生して聴きたい、あるいは購入したディスクをデッキに入れて再生するということのためにCDプレイヤーを破損するリスクを負いたくない、あるいは、CD等の再生機器としてはパーソナルコンピューターしかもっていない又は使いたくないという消費者は、並行輸入されたCDDA規格が遵守されている英米国内向けのCDを購入する傾向がある(注17)。
すなわち、英米系のレコード会社は、系列ないし提携関係にある日本のレコード会社を通じて、「再生できるかわからず、プレイヤーを破壊してしまうかも知れない」欠陥商品を、英米国内におけるCDの価格よりも顕著に高い価格で日本在住の消費者に販売するという営業政策を採っているわけである(注18)が、並行輸入を阻止できない場合、消費者側でそのような高くてリスクのある商品を回避することが可能になってしまう。それでは、英米系のレコード会社の意図(注19)が完全には実現されないこととなってしまう。ところが、商業用レコードについて輸入権が創設されると、英米系のレコード会社は、これを行使して並行輸入を差止めることによって、日本在住者に対し、「再生できるかわからず、プレイヤーを破壊してしまうかも知れない」欠陥商品を英米国内におけるCDの価格よりも顕著に高い価格にて購入するように迫ることができる。
また、輸入権の創設により「日本国内販売禁止」との文字列をCDのジャケット等に印刷しておけば並行輸入の差止めによる国際市場分割が可能となるならば、英米系のレコード会社としては、新曲を英米国内で新発売するにあたっては、これが英米国内でヒットした暁には日本在住者に欠陥商品を高額で買い受けさせることができるように、日本のレコード会社と既にライセンス契約を締結したか否かにかかわらず、予め、「日本国内販売禁止」との文字列をCDのジャケット等に印刷しておくことが考えられる。この場合、果たして当該CDがヒットし、日本のレコード会社との間で日本国内でのディスクの製造・販売に関するライセンス契約が締結された暁には日本国内ではプレイヤーを壊しかねない粗悪品が顕著に高い価格で流通するという弊害をもたらす一方、当該CDが日本のレコード会社にライセンス契約を結びたいと思わせるほどヒットしなかった場合には、日本国内に在住する消費者は当該CDを購入してこれを聴取する機会を奪われることになる。すなわち、輸入権が創設された場合、日本国内在住者が多様な楽曲を鑑賞する機会を奪われることになると予想される。
この点に関し、前記生野氏は、「制度上は権利付与については内外無差別という形で考えている。権利者が止めたいのであれば、当該地域のみの販売という表示をし、権利行使しない場合は、その表示をしなければよい。但し、洋盤についてはインターナショナル5メジャーから、止めるようなことはしないという言質を得ている。 」と発言している(注20)。同氏は、さらに、「それは単に「止めない」と言っているだけで、止める気になればできるという権利をになるのか。 」という質問に対して「基本的には『止めること』は可能ということになる。 」と答え、「内外無差別にしなければいけないので、法律上は世界中の真正商品を商業レコードに関して止めることができるということになるということか。 」という質問に対しても「法律上はそうである。」と答え、それに「ただ、実際の運用では5メジャーの協力を得て現行ビジネススキームを維持しようということである。」と付け加えている。
このように、英米系のレコード会社が輸入権を行使することはないとする根拠は、(社)日本レコード協会常務理事・事務局長である生野氏が、英米系の5大レコード会社の何者からか「言質を得ている」と言っているとの一点しかない。各レコード会社について、どのような地位にある何という人物がどのような機会に何といったのか、そしてそれは書面化されているのかということすら明らかではない(なお、「日本国において輸入権が創設されても、これを洋楽の並行輸入を差止めるために行使することはしない」との声明を5大メジャーの関係者が表明したとの情報はない。輸入権の創設を「可」とするか否かの議論においては洋楽CDの並行輸入が輸入権により阻害されてしまうのかということが大きな論点の一つとなっており、そのようなことにならないという見解は専ら英米系5大レコード会社の意思に依拠している以上、洋楽CDの並行輸入については輸入権を行使しないことにつき5メジャーと日本レコード協会との間で合意が形成されているのだとしたら、5メジャーの関係者がその旨を公式に声明して、日本国内の消費者を安全させるのが通常であるから、この時点で何らそのような声明が発見されていないということは、5メジャーは輸入権が創設されたら、洋楽CDの並行輸入を差止めるためにこれを行使する意欲があるのだと推測すべきであろう。)。そもそもそのような「言質」に法的な意味があるとすら思えない。したがって、輸入権が創設された後、果たして英米系の5大レコード会社が輸入権を行使して並行輸入をストップさせた、日本国内の消費者には、英米系の5大レコード会社が権利を有する音楽CDの購入を諦めるか、一か八か、再生できるか否かわからず、しかもプレイヤーの寿命を縮めるかも知れないディスクを、他国の消費者よりも顕著に高い代金を支払って購入するかという選択肢しか与えないこととした場合に、日本国内在住の消費者は、誰に対しても法的な責任を追及できず、泣き寝入りするより他なくなってしまう。
輸入権が創設されると何が起こるかは、輸入権による国際的市場分割の弊害が大きすぎてついに1998年に「non-infringe copy」を輸入権の対象から除去して並行輸入を自由としたオーストラリアの例が参考になる。すなわち、オーストラリアでは1968年の著作権法改正の際に、国外で適法に作成され流通に置かれた音楽CD等についても著作権者の許諾なしに輸入することを禁止した。その結果、「世界のメジャーたるレコード会社がオーストラリアへの輸入を、まさに並行輸入禁止条項によって支配し、著作権を有する国際的親会社とそのオーストラリアの拠点の間でしか主だった輸入がなされ得ない状況にある。このことが、オーストラリアの(レコード・CD等の)市場競争を制限し、継続的(恒常的)にオーストラリアでの価格を諸外国におけるよりもずっと高いものにしている(アヴェイラビリティもまた低い)、とされる。この高価格の継続は為替変動に関係なく生じており、CDはアメリカより42%高く、カセットはカナダより69%高く、LPはイギリスより21%高い、といった現象をもたらしてい」(注21)た。ところが、自由党と国民党の連立政権が、オーストラリア競争消費者委員会、多くの消費者団体の指示を受けて、オーストラリアのミュージシャン、労働党、民主党、そしてアメリカ大使館の反対にもかかわらず1998年6月に前記著作権法改正案を僅差で可決すると、すぐにその効果は現れた。CDの価格は、従来は平均して30ドルだったのが、2000年12月には、「specialist music stores」では約6.1%下落し、「selected non-specialist and discount stores」では18%以上も下落した。また大規模なチェーンストアでは並行輸入品を12ドルで販売するようになった。
文化庁は、(社)日本レコード協会の要請を受け入れて、オーストラリアが1998年に行った改革と正反対の改革をしようとしているようである。それは、上記改革によってオーストラリアに起こったのと正反対の現象──音楽CDの国内価格の継続的な上昇──をもたらすことになろうが、それは消費者に大いなる損失をもたらすものである(注22)。
以上のとおり、商業用レコードについて輸入権を創設することにより直接的な影響を受けるのは、日本国内に在住する消費者である。そして、一般消費者の意見を代表することを予定している全国消費者団体連絡会は、輸入権の創設に反対している(注23)。その他、一般消費者の意見を代表することを予定している団体等が輸入権の創設に関して(社)日本レコード協会と合意したとの報告は全くなされていない。したがって、日本のレコード会社のアジア諸国への進出をサポートするためであれば、輸入権の創設により、自分たちが犠牲になっても構わないと日本在住の消費者たちが合意したとの事実はないとみるべきであろう。
ところが、文化審議会著作権分科会は、前掲報告書において、「『日本販売禁止レコード』の還流防止措置」を「関係者間の合意が形成された事項」の1つとして掲げている(10頁)。それは結局、文化庁としては、「(社)日本経済団体連合会、著作者団体」のみを、「『輸入権』の創設(海外で合法的に作られたレコードの輸入への対応 」に関してその創設を望む社団法人日本レコード協会の「協議を行うべき相手方」として位置付けており(注24)、消費者団体等は「協議を行うべき相手方」に含めるに値しないと位置付けていることによる。
しかし、(社)日本経済団体連合会は、(株)エイベックスの依田巽会長が産業問題委員会エンターテインメント・コンテンツ産業部会の部会長に就任しているが、依田会長は、同時に、(社)日本レコード協会の会長でもある。したがって、(社)日本経済団体連合会は、エンターテインメント・コンテンツ産業については、(社)日本レコード協会の意向をストレートに反映する立場にあるといえ、協議の相手方としては妥当ではない。
また、上記検討事項例において「協議を行うべき相手方」として掲げられている「著作者団体」が具体的に何を指すのかは明示されておらず、明らかではないが、「著作者団体」は輸入権の創設による国際的市場分割の法的保護による直接的な不利益を受けることが予想されている人々の意見を代表することを予定していないものであるから、輸入権の創設問題に関する「協議の相手方」として不適切であることもまた明らかである。
このように、「『日本販売禁止レコード』の還流防止措置」すなわち輸入権の創設に関しては、これにより利益が損なわれるものとの間で合意が形成されているとはいえないのであるから、本来、「関係者間の合意が形成された事項」に含めるべきものでないことは明らかである。それにもかかわらず、この問題を「関係者間の合意が形成された事項」に含めた報告書の記載は、その読者(特に国会議員や報道陣)等を誤解させるものであり、速やかに訂正されるべきである。
二 貸与権について
文化審議会においては、著作権法附則4条の2を廃止して、書籍・雑誌等についても貸与権を及ぶようにするとの意見が多数を占めているようである。しかし、これには賛成できない。理由は以下のとおりである。
継続的・反復的に利用しうる商品であって、商品寿命よりもはるかに短い時間その商品を利用すれば満足する消費者が少なからず存在するものについては、当該商品を「購入」してその商品としての寿命が尽きるまでこれを占有し続けるのではなく、当該商品の「貸与」を受けて必要な期間だけ占有していたいという需要が生まれることが多い。そのような需要が大きければ、その需要に応えて、当該商品の貸与を行うサービスを行う事業者が発生する。これは市場経済においては当然のことである。
このような貸与ビジネスは、一つの商品から複数の人々のために便益を提供するものであるから、当然に社会全体の厚生を増大させるものである。それゆえ、貸与ビジネスは、当該商品の販売総数を減少させる可能性を必然的に有しているにもかかわらず、貸与ビジネスを禁止する権限は、当該商品の製造・販売等について一定の利益を有する者に付与されていない。この基本原則をまず再確認すべきである。
このほぼ唯一の例外は、著作権法26条の2に規定される「貸与権」である。
昭和59年改正において「貸与権」が創設されたのは、当時貸しレコード業が流行しており、消費者が、貸しレコード店からレコードの貸与を受けて、各自のオーディオ機器等を用いて、カセットテープにダビングするということが広く行われたからである。レコードの貸与は、消費者が同一の内容の複製物を製作することを助長するものであるが故に、他の商品とは異なる取り扱いを行うことが許容されたのである。アメリカ著作権法が「レコード」及び「プログラム」についてのみ貸与権を認め、WIPO著作権条約は、「レコード」、「プログラム」、「映画」についてのみ、商業的貸与を禁止する権限を著作者に認めている(7条)のもそのような趣旨からである。
これに対して書籍・雑誌については、レンタルを受けた消費者が同一内容の複製物を製作することは容易ではなく、実際、書籍等のレンタルを受けた消費者のほとんどは、これを読了するとそれで満足し、複製物を製作することなく返却するのが通常である。したがって、書籍・雑誌等のレンタルは、レコード・CD等のレンタルとは全く性質が異なり、むしろ、一般の工業製品のレンタルと同様の性質を有している。
したがって、書籍・雑誌について、貸与権の対象とするのは、他の工業製品との関係でもバランスが取れておらず、許されるべきではない。
また、書籍・雑誌においては、これに含まれる著作物についての著作権の全てを出版社が有している場合というのはそれほど多くなく、大部分は各執筆者等が著作権を留保している。しかも、これらの執筆者等大部分の有する著作権を管理する団体はない(注25)し、執筆者のほとんどを束ねる団体すらない。この点がレコード・音楽CDの場合と大いに異なる点である。そのため、著作権者の許諾を得て書籍・雑誌等のレンタルサービスを営もうとしても、許諾を得るための交渉を行うことすら至難の業である(注26)。そのため、書籍・雑誌を貸与権の対象に含めた場合、多くの書籍・雑誌について、許諾を得るための交渉を行う見込みすら立たず、レンタルサービスを断念しなければならなくなることになる(注27)。
また、書籍・雑誌もまた貸与権の対象となるように附則4条の2を廃止した場合、多くの図書館が廃止に追い込まれる可能性がある。図書館が書籍・雑誌を購入するたびにその書籍・雑誌に含まれる著作物の著作権者から貸与についての許諾を得るということは実務的に困難であり、また既に購入し収蔵している書籍全てについて著作権者を訪ねて貸与についての許諾を取るというのは不可能だからである。
これに対しては、営利を目的とせず、かつ、その複製物の貸与を受ける者から料金を受けない場合には免責される(著作権法38条4項)から、図書館は大丈夫だという反論もあり得る。しかし、裁判例(注28)や学説は、非営利性の要件も無償性の要件も限定的に解釈しようとするものが多いから、図書館とて安泰ではない。
このように書籍・雑誌等を貸与権の対象とした場合、書籍・雑誌等についての貸与サービス自体が死滅する危険がある。そして、それは、本来は商品寿命を全うするまでの間多くの人の欲求を満足させる可能性がある書籍・雑誌という商品を、1人の欲求を満足させただけで朽ち果てさせることに繋がり、社会に多大な損失をもたらすものであり、そのような事態はなるべく避けるべきであろう。
三 損害賠償制度について
1 著作権侵害行為により正規商品の代替物が製作され、これにより正規商品が売れなくなるというのが、著作権侵害行為により著作権者が被る「損害」の中核である。著作物が送信可能化されただけでは、著作権者にはこのような本来的な意味における「損害」は発生していない。したがって、送信可能化は公衆送信権侵害の予備的行為として差止め請求の対象とすることや刑事罰の対象とすることはまだしも、損害賠償請求の対象とすることは本来そぐわない。
このように「送信可能化」それ自体は著作権者に「損害」を与えていないのであるから損害額の立証が困難であるというのは当然のことであるにもかかわらず、そのことを理由として、一著作物あたり10万円を損害額としてみなしてしまえという文化審議会の提案は、非論理的であり、乱暴との謗りを免れないものである。
特に、裁判所においては、中央サーバと端末を同一人が提供している、ユーザーインターフェースに優れている通信サービス(無料サービスであっても、将来有料化する可能性があればよい)においては、そのサービスを利用して個々のユーザーが著作権を侵害する情報を送信した場合であっても、法的には、当該中央サーバの提供者を公衆送信権侵害の主体として損害賠償責任を課す(かつ、中央サーバの提供者をプロバイダ責任制限法上の「発信者」であるとして3条の免責も認めない)こととしているから、公衆送信(自動公衆送信や送信可能化を含む)権侵害による賠償額を高額化した場合には、次世代の携帯電話サービス等、新しい通信サービスを開始するリスクが高くなり、日本における情報通信サービスの発展が他国のそれよりも一歩も二歩も遅れてしまう危険がある(注29)。
2 また、「権利者にとって侵害者によって販売された数量の把握・立証が非常に困難であるため,立証負担の公平性を図るべきであり,原告が立証できた侵害数量の2倍の数量を推定して賠償請求を認めるべきであるという意見」に対しては、経験則の裏付けのない推定規定を設けること自体に問題があり、反対せざるを得ない。また、民事裁判において「立証できた」とは、判決言渡しの段階で当該事実が存在するとの高度の蓋然性があるとの心証を裁判所ないし裁判官に抱かせた状態をいうから、裁判官は、判決において、侵害数量についての心証を判決文に記載した上で、その2倍の数量侵害があったと一応推定して見せた上で、当該推定は被告の反証により覆されたとして、当初の心証通りの侵害数量を認定することになるが、全くの無駄である。
四 法人著作制度の廃止について
著作(財産)権だけをみた場合、法人著作制度を廃止しても大きな弊害を生むものではないが、日本の著作権法の特徴である強すぎる著作者人格権(特に同一性保持権)をそのままにした場合、多大なる弊害を生むことになる。
すなわち、著作権法20条1項は、著作者の「意に反する」改変を原則として同一性保持権侵害行為と指定し、著作者にこれに対する損害賠償請求権や差止め請求権を認めている。しかも、この同一性保持権は譲渡できないものとされている。したがって、同一性保持権に関する規定をそのままにした上で法人著作制度を廃止したときは、法人等が従業員等に作成した著作物については、当該従業員等の同意なくしてはこれを変更できないということになる。これは、特に当該従業員が当該法人等を退職した場合等を考えれば、企業等において致命的なものとなることは明らかである。
五 真に「知財立国」を実現するための方策
知的財産戦略会議での審議及び今回の文化審議会著作権制度部会の報告書に共通する特徴としては、真に「知財立国」を築き上げるためには何が必要なのかということについての物の見方が浅すぎるという点が挙げられる。
クリエイターの周辺に群がる資本家たちの保護を厚くすることは必ずしもクリエイターの創作意欲を強化することにはならない。例えば、著作権の保護期間の50年から70年への延長は、創作者自身に何らのメリットをもたらすものではない(注30)。他人(従業員を含む。)が創作した作品について著作権を取得し、その著作権を行使して継続的な収入を得ている企業を利するのみである。
これに対し、クリエイターの周辺に群がる資本家たちの保護を厚くすると、新たなクリエイターによる創作活動に支障が生じてしまう。
すなわち、優れたクリエイターの多くは、青少年期に、当該ジャンルに関する先人の優れた作品を貪るように鑑賞した時期を経験している。とはいえ、日本の青少年の大部分は、漫画にせよ、書籍にせよ、音楽にせよ、鑑賞したいと思った作品を好きなだけ定価で購入するほどの資力がない。
だからこそ、日本の青少年はこれまでも、新品を定価で購入する以外の方法で鑑賞する方法を模索してきたし、多くの業者がこの要望に応えるべく様々な方法を開発・提供してきた。古典的には図書館や貸本屋、古本屋、その後、FMラジオの音楽番組、レンタルレコード、コミックレンタル、漫画喫茶等々である。これらの方法を駆使して青少年期に浴びるように先人の優れた作品に接した者が、ある者は優れたクリエーターになり、ある者は優れたプロデューサーになり、ある者は優れた消費者になっていったのである。
文化審議会委員の多数派は、この「創造のサイクル」を破壊しようとしているように見える。青少年が一つの作品に接するのに必要なコストを上昇させることは、青少年の購買力がそれに比例して上昇することがない以上、青少年が接することが可能な作品の数を減少させることに繋がる。そして、そのことは、彼らが優秀なクリエーターに育っていくのを阻害するのである。
そのようなことをして実現するのは、青少年期に優れた作品にたくさん接することができた国外のクリエイターが創作した作品を、強すぎる著作権のもと、他国と比して顕著に高いお金を払って鑑賞させてもらう惨めな社会であろう。「知財立国」を実現するためには、他国の知的財産権の保護の程度を自国のそれよりも強化することが望ましいのに、知的財産戦略本部や文化審議会の多数派はこれと反対の行為を行おうとしている。
知的財産権制度を構築しようという人々は、過去の(多くの場合は他人が創作した)創作物に依拠して利益を得ている既得権者に過剰に配慮することなく、これから優秀なクリエイターを次々と生み出していくためにはどうしたらよいのかということを中心的課題として考えるべきであろう。
(1) 同報告書10頁
(2) 浜田宏一「特許権による並行輸入差止めの是非について──経済学的考察」ジュリスト1094号75頁
(3) 大阪高裁昭和46年8月6日判タ267号242頁等
(4) 最判平成9年7月1日民集51巻6号2299号
(5) 前掲平成9年の最高裁判決では、特許についていえば、内国特許と外国特許は別個のものとして、二重の利得論による特許権の国際消尽は否定されているが、著作物に関していえば、ベルヌ条約等の加盟国内であればどこで創作されようとも当然にどの加盟国でも著作権の保護を受けられるのであるから、内国著作物と外国著作物を別個のものとして観念する余地がなく、二重の利得論による国際消尽が認められやすい。
(6) この程度のライセンス料収入の増大で並行輸入の阻止が正当化されるのであれば、あらゆる工業製品に用いられているあらゆる種類の知的財産権に並行輸入阻止権を認めなければなるまい。
(7) 生野秀年「レコード輸入権と消費者の利益について」 (8) 現在日本レコード協会に加盟するいわゆるメジャーレーベルの邦楽CDの国内小売価格はほぼ共通しているが、日本レコード協会が国内小売価格を決定して加盟企業に遵守させているのだとすると、それは独占禁止法違反に該当すると思われる。 (9) 「逆輸入」というのは、既に自動車、オートバイ、時計などでは広く行われている。 (10) 生野秀年「レコード輸入権に関する関係者との協議の状況等について」 (11) 英文を理解する日本国民に比べ、アジア諸国に言語を理解する日本国民は圧倒的に少ないのが現状であるから、障壁としての力はアジア諸国の言語の方が大きい。「音楽データを入手したい」だけならば合法・非合法含めてよりコストのかからない手段が選択可能であるから、敢えて「音楽CDを購入する」という行為にでる場合、「音楽データを入手する」ということプラスαを消費者は求めているのが通常である。このプラスαの部分は市場ごとに差別化が可能である。 (12) http://www.riaj.or.jp/about/enterprise_2.html (13) 生野秀年・前掲「レコード輸入権と消費者の利益について」 (14) 「Amazon.com」 (15) 「best-cd-price.co.uk」 (16) 社団法人日本レコード協会の理事長である依田巽氏が代表取締役を務めるエイベックス株式会社のウェブサイト しかし、CDプレーヤーのメーカーは、CCCDが「今までのCDと同様に通常のCDプレーヤーでお楽しみいただけ」るとは保証しておらず(例えば、パイオニア株式会社は、そのウェブサイトにおいて、「現在発売されております「コピーコントロールCD」と呼ばれる音楽ディスクは、正式な音楽CD規格に準拠しない特殊ディスクであり、当社製品における再生および録音につきまして、動作や音質の保証は致しかねます。/再生あるいは録音をされる場合は、音楽ディスクパッケージの注意書きやコンパクトディスクロゴマーク(下記)の有無等をご確認ください。/なお、「コピーコントロールCD」の詳細に関しましては、ディスクの発売元または販売元にお問い合わせ下さいますよう、お願い申し上げます。 」との説明を行っている。)。 また、フリージャーナリストの津田大介氏がそのウェブサイト上で行ったアンケート調査によれば、回答者の大半が、CCCDを再生しようとしたが再生できなかったとか、CCCDを再生しようとしたらその後通常のCDを再生する際にもトラブルを生ずるようになった等の回答を行っている。このため、オーディオ機器等に多額の投資を行っている先覚的なユーザーを中心に、CCCDの買い控え運動が起こっている。 (17) 英米国内向けのCD等は、Amazon.co.jp等のインターネット通販業者の他、HMVやTower Record等の大手レコード量販店で購入することができる。 (18) ただし、現時点では、英米系のレコード会社においても、日本国内向けのディスク全てをCCCD規格としているわけではない。 (19) それが英米人の日本人に対する人種的・民族的な偏見、差別、敵意等に由来するものであるか否かはわからない。但し、音楽情報をmp3等のデジタル形式にて複製した電子ファイルがP2Pファイル交換サービス等を介して送受信を防ぐためのシステムとしてコピープロテクト技術等を導入する場合、全世界の全ての商品(既に出荷されたものを含む。)について導入しなければ意味がないから、日本国内向けの商品にはCCCD規格を用い、英米国内向けの商品には何らのコピープロテクト技術が付されていない商品を出荷するという現在の営業政策には経済的な合理性はない。実際、楽曲をCCCD規格で出荷したことにより売上が増大したとのデータはない。 (20) 文化審議会著作権分科会法制問題小委員会(第4回)議事要旨 (21) 石黒一憲「国際知的財産権 サイバースペースVSリアルワールド」143頁(NTT出版・1998) (22) オーストラリア民主党は、音楽CD等について輸入権を復活させようとする労働党を「Labor has again caved in to the large foreign multinationals and with the support of the Democrats, Labor will send Australian consumers back to the dark days of paying over $30 for new release CDs. 」といって批判している (23) (24) 「各分野における検討事項例」 (25) 貸与権連絡協議会を構成する15団体は、日本国内で発行されている書籍・雑誌について著作権を有する者の大部分を取り込めていない。 (26) 例えば、執筆者が死亡した場合には、相続人全員から許諾をもらう必要がある(著作権法65条2項)。 (27) 貸与権侵害ということになると刑事罰の対象ともなるので、著作権者から連絡があったらライセンス料を支払えばいいというわけにはいかない。 (28) 名古屋地判平成15年2月7日判タ1118号278頁等。特に、東京地決平成14年4月9日判時1780号25頁によれば、利用者を増大させることにより広告価値を増大させること自体が「営業上の利益を増大させる行為」とされるから、利用者を増大させる目的で図書館が書籍を仕入れ貸与の対象とすると「営利の目的」を認定される可能性がある。また、私立大学が運営する図書館の場合、授業料ないし施設費の一部が「著作物を公衆に提供・提示する行為の見返りとして受ける対価」にあたるとして38条3項による免責を受けられなくなる可能性がある。民営の会員制図書館も同様である。 (29) 著作権侵害行為に用いられる可能性を除去してからでないと当該通信サービスを提供してはならないとした場合、新たな通信サービスを開始することは事実上不可能となる。実際、電話もFAXもパソコン通信もインターネットも、著作権侵害行為に用いられる可能性を今でも除去できていない。 (30) 著作権の保護期間が50年から70年に延長されたからといって、創作活動に携わるクリエーターの給料が引き上げられるわけでもないし、クリエーターが創作した作品について企業が著作権を買い上げるときの買受価格が引き上げられるわけでもない。まして、既に企業が著作権を買受けた作品について、当該企業が当該作品の著作者またはその遺族に、当初の買受け価格の4割に相当する金額を追加して支払うわけでもない。創作活動とは無関係の企業が丸儲けするだけである。 (31) 原秋彦「懐かしの貸本屋」コピライト2003年12月号1頁